2021年2月3日  南山城/ 京田辺 観音寺 (十一面観音を観に行く)

京田辺 観音寺 

 

天武天皇の勅願により義淵僧正が創建した。その後、聖武天皇の御願により良弁僧正が伽藍を増築し、息長山普賢教法寺と号し、十一面観音立像を安置したといわれている。 法相・三論・華厳の三宗を兼ね、七堂伽藍は壮麗を極めて「筒城の大寺」と呼ばれた大寺院であったと伝えられている。 幾度となく火災に見舞われ、永享9(1437)年の火事では、諸堂13、僧坊20余りを数えた建物のほとんどが失われ、大御堂だけが再建され現在に至っている。 現在は、本堂と庭園が周囲の里山に調和し、美しい姿を見せており、春には参道の桜並木や一面に広がる菜の花が、秋には紅葉がひときわ目を引く。

                         (京田辺市観光協会HPより)

 

観音寺ご住職の話によれば、

ここは興福寺の北別院。それだけに、平清盛の南都焼討の際にも焼討に遭ったという。

現在、地理的には京都府だが、歴史的には平城京の北の端になる。

 

 

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観音寺遠景。右側に見える石碑は日露戦争の慰霊塔。

背後の森の中には、不動明王像のある水行の場がある。ただ、今は使われている形跡はない。水は枯れている。

(写真は後出)

 

 

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かつては大伽藍普賢寺であったが、現存するのはこの大御堂だけ。

 

 

 

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さて、観音像を観に行こうか。

 

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十一面観音立像 天平仏(奈良時代中期)を代表する仏像で、昭和28年国宝指定。

天平16(744)年良弁僧正(ろうべんしょうじょう)開基時の仏像。

                  (京田辺観光協会HP より)

 

奈良・桜井の聖林寺の十一面観音にも似ると言われているが、聖林寺のほど男性的な感じはしない。たおやか。

 

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お堂の左端の小さな厨子の中にも小さな十一面さん。

白い十一面さんは白山神社にいた十一面さんではないか、(白山系の十一面さんは白いのだという)、神仏分離のときに白山神社から放り出されたのが救出されてここにあるのではないかというような話をご住職から聞いた。

 

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明治の神仏分離以前は、この神社は観音寺の鎮守の神。

今は寺から切り離され、天王の朱智神社の管轄となっている。

朱智神社は、神仏分離以前は牛頭天王社。神社のある一帯は天王地区。地名は今も残る。(朱智神社にはこのあと行く)。

 

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アウトドア、、「若 谷 例 を 島 場 社 城 備 経 祭 前 河 刻 覆 観 当 ま 高 現 音 正 明 式 大お れ 在 徳 油 内 国 初 死 十 月 並 元 亀 挙 年 å… 日 現 州 ç”° ç”° 辺 辺 市 文 市 化 教 財 保 護 委 委 å¡ 会会 参 軍 地 田” æ 神~ 社 番 地 比分 売 ç 利 神 果 は る。 堂 現 在 の」というテキストの画像のようです

 

木、アウトドアの画像のようです

 

木、アウトドアの画像のようです

神仏分離以降、近代化以降、国家の宗教体系の枠の中に寺社も人間も組み込まれたあとには、近代戦の犠牲者の碑が神社の境内に立つことになる。

 

慰霊塔の裏には、忠魂碑と刻まれている。

国家に忠義な魂の碑。

 

さあ、朱智神社に向かう!

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カーナビに天王地区の地名が。

ここは牛頭天王のお膝元の地域となる。

 

 

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集落の上へ上へ、奥へ奥へと、軽の自動車がやっとの急な細道を登っていくと、現れる。

 

ここは、目に見えないものたちの気配が立ち込める。 

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本殿。扉は閉じられ、ご本尊は見えず。残念。

 

 

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最強の疫病神であり、疫病を祓う神である牛頭天王を祀る社というのに、結構弱腰。

 

 

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境内には牛頭天王と刻まれた奉納の灯篭。

 

山を下りて、打田地区に行けば、須賀神社

ここもかつては牛頭天王社。朱智神社が遠いので、ここにも牛頭天王社をということで、造られた。 

 

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赤の社は春日社

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こちらの社は熊野社。

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本殿の背後に八大龍王

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須賀神社の脇の階段を降りて行ったところの隅には大東亜戦記念碑。

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