熊本 山都町 通潤橋から 緑仙峡・穿の宮へ 2017年9月16日
通潤橋遠景
石牟礼道子『水はみどろの宮』のモデルの石橋を探して、
通潤橋に。
作中の橋は眼鏡橋。だが、水なき山あいの村の水田のために水をもたらした石橋と言えば、ここしかないだろうと。
案内板
よって、本来は立ち入り禁止。
工事関係者の許可を得て、上から橋を見た。
平常時はこの水路の上に土を敷いて歩道になっている。
布田神社 通潤橋を創ることに尽力した総庄屋布田保之助を祀る。
通潤魂!!!
さて、本来は、工事中のため通潤橋上部の方へとは入れなかったのであるが、それを知らずに工事現場まで行き、この地図を見つけた。
「穿の洞窟」とある。
おお、これは石牟礼道子『水はみどろの宮』の「穿の宮』ではないか!!!
と、進路変更、一路、「穿の洞窟」を目指す。
【山深い緑仙境】
さあ、穿の宮をめざす!
道で教えを請うた地元の方によれば、この標識のほうへ、車で行けばすぐだと。
おそるおそる山あいの道、
まだこのあたりはいい、
だんだん道は細くなり、
軽でもいっぱいいっぱいの道幅になってくる
右側は断崖、下は深い谷になっていく。
右に行けば、湯鶴葉
左に行けば、内の口、穿の洞窟、
しかし、すぐにでも見えると思った穿の洞窟(穿の宮)は、一向に見えず、車はますます細くなる山道を後戻りもできず、どんどんのぼっていき、はるか下の谷に落ちるのではにかという恐怖とともについに山道の頂上へ。
ちょうど大雨のあとで、道は土砂とともに流れ落ちてきた石がごろごろ、流れ落ちてきた木も道にはみ出て、しかも路肩は緩くていつ崩れるかもわからない、それは実にインディジョーンズのような道のり。
この道は後々地図で調べましたが、100パーセント車道ではありません。
絶対に車では行ってはなりません。
あんまり恐ろしくて登り切った場所の写真を撮れなかったのだけど、
その深い山中に農業の為の倉庫らしきものがあり、2~3基の立派な墓も。
山中の部落をふと思う風景でした。
あとから、このあたりのサンカのことを調べるきっかけとなる風景でした。
死ぬ思いでかなり下まで山道を戻ってきて、地元のお爺さんに尋ねたら、
山道の途中、左手、公衆便所のあるところが穿の宮への降り口と教えてくれた。
穿の宮は、谷底の沢のほとりに立つという。
鳥居が見えてきた。沢の音がする。
なんと、
「水はみどろの宮」は、「穿の宮」のまた別の名「緑の宮」からきているのではないか!
しかも、
この緑の宮は百合若大臣の愛鷹緑丸を祭ったと、ここにも「百合若伝説」!
穿の宮のご神体は、本来、沢の向う側にある穿の洞窟だろう。
この洞窟は宮崎に通じているという伝説がある。
石牟礼さんは、ここからインスピレーションを得て、
穿の宮の底には、肥後と日向にまたがる地底の湖があるとした。
最近はこちらの案内板
穿神社の社殿から、穿の洞窟を望む。
こんなに大きな洞窟!
洞窟から社殿を望む。
いかがわしい山伏、祈る。
洞窟の奥の行方はわからない。
洞窟から見る沢の風景。
上流を見る。
水の音。